2024年12月現在の会の状況
会員数は18人(50代5人、60代10人、70代3人)。2024年の山行数は326件です。
山行種類ごとの件数は下記になります。

| 会の歴史 | |
| 創 立 わらじの仲間の創立は1957年(昭和32年)9月、野口冬人、関根幸次、日吉信美らを中心として集まった十数名によって、個々ではできないことを組織の力によって成し遂げようという考えのもとに結成されました。2007年に創立50周年を迎えます。 「わらじの仲間」という会名は、溪谷からの山旅を会のテーマとし、谷歩きにつきものであり、また日本古来の履き物として知られていた、“わらじ”をシンボルにしよう、ということから名づけられました。 | ![]() 創立間もない1958年 中央アルプス・オンボロ沢 |
| 地域踏査山行 かつては、組織的に地域踏査山行が実施されました。その第一段階として、那須・男鹿山域が取り上げられ、会報の特別号として「奥那須の山と谷」が第6集まで発行され、山と渓谷社からその一部が、「那須高原と塩原の山」となって発刊されました。続いて、南会津・奥只見・越後が、さらに飯豊連峰の踏・調査が続行され、これらの報告は会報の特別号「わらじ叢書」として「那須・南会津・奥只見・越後・飯豊」(全13巻)にとりまとめられています。 白水社の「日本登山体系」には、飯豊連峰、那須連峰、男鹿山塊、越後荒沢岳、越後三山などの山域で記録の発表をおこないました。 その後も継続的に会山行、個人の山行を問わず越後・飯豊への山行が数多く組まれています。50年間の冬合宿・夏合宿の歩みは別表「冬合宿・夏合宿の概要」にまとめました。 | ![]() 1963年越後駒ケ岳冬山合宿 ウインパー型テントを前に |
| 山行志向 山行の一つの方向性には、未開の山を探るということから渓谷からの山旅が多く取り上げられ、その結果、谷歩きが会山行の主体を占めました。「渓谷から頂へ」というキャッチフレーズも生まれました。 しかし、それに限ることなく、越後・飯豊での数々の冬季のバリエーションルート・長期縦走、また海外登山と広範囲にわたる山行が行われてきました。海外では、70年代~80年代かけてのアンデスでのトクヤラフ、アグハネバダ南壁、アルパマヨ南西壁等の山行、ヒマラヤにおけるインド・ヌンなどHAJなどでの活動、台湾での台湾岳人を交えた数々の遡行など、個性的な山行がおこなわれてきました。 | ![]() 雑誌「山と渓谷」に掲載されたピーアール用写真 |
| 会 報 会報は、「月報わらじ」が月1回、「年報わらじ」が年1回発行されております。2006年12月発行の年報は、29冊目となりました。会報類については「出版物一覧」をご覧ください。 | ![]() 地域研究の場であった那須の甲子温泉(昭和40年代) |
| 「わらじの仲間」とは わらじの仲間代表が1997年発行「わらじ40年の歩み」の巻頭に寄せた文章ですが、「わらじの仲間」の特徴を言い表わしていると思います。 「わらじ40年の歩み」巻頭言より |




